人気グループ・WEST.の中間淳太(37)が、発生から30年となる阪神・淡路大震災について語った。当時小学校1年生だった中間は、住んでいた神戸市中央区で被災。「僕はまだ小さかった」と振り返るあの日に見た光景は、エンタメに生きる人間として考える「自分ができること」とは-。信念を胸に災害へと向き合う中間に聞いた。 【写真】震災発生時刻で止まったままの「麒麟ビル」の時計 何が起きたのか、よく分からなかった。1995年1月17日、午前5時46分52秒。静かな寝室を襲った強烈な縦揺れを身体に受け、最初に思ったことは「恐竜でも来たのかなと。子供なので(瞬間的に)地震が来たことは分からなかった」。 揺れる視界、空中を動く家具。自身と同じベッドで寝ていた母親は、床に敷かれた布団で寝ていた弟に覆いかぶさり、倒れてきたタンスを背中で受け止めた。「間一髪のところで弟を助けた光景は、今でも思い出します」。息苦しそうに、当時を振り返った。 住んでいたマンションは無事だったが、当日は避難所で過ごした記憶がある。「段ボールで仕切ってたのも覚えています。何日かだけで、日数までは覚えてないですけど」。大きな地震が起きたとはしばらく分からなかった。「なんでこんなことなってるんだろう」という疑問を解決するには時間がかかった。 台湾人の父と、日本人の母の間に生まれ、小学校は区内にある神戸中華同文学校に通っていた。震災後、通学ができるようになった際には普段利用するバスや地下鉄が止まったまま。「徒歩で母、同級生とそのお母さんと通いました。泣きながら学校に通っていたのは、今でもすごく覚えてます。めちゃくちゃ怖かった。本当にビルが倒れてたから」。気にも留めていなかった“当たり前の光景”は激変した。 非常事態下の記憶として強く残っているのは
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